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船橋の中学校では入学してからしばらくは、体のあちこちにあざを作って帰って来るようないじめにあいました。しかし、幸運なあることがきっかけになり、それ以降はぷっつりとなくなりました。幸運なこととは、息子の描いた虫歯予防のポスターが、県下の中学校の部で一等賞になったのです。父子で表彰式にも出席し息子は大喜びでした。
新潟では、「障害児はそれなりの施設や学校へ行くべきです」との、一点ばりの教育委員会と、健聴児との共学を切に望む主人との間で論争が長引きました。最後は主人の熱意が勝りましたが、いっになっても障害児を特別視する理解のない人々には、本当に腹が立ちます。
それにひきかえ、優しく理解のある女の先生の指導の下で、心温かな生徒さんたちに囲まれ、息子は中学の三年生を過ごすことができました。当時、「新潟弁は外国語のようだ」と聞きとるのに苦労していた息子も、今ではすっかり慣れ親しんでおります。
高校は私立の高枝に入りました。中学校では陸上競技部で毎日走っていたのですが、高校では絵画クラブに入り、三年間油絵を描き続けました。二、三年生は部長に選ばれて後輩の面倒も見だそうです。
勉強はとても大変でした。英語、数学は遅れが目立ち、塾へ行ったり受験期には家庭教師もつけました。残念ながら大学受験は失敗に終わりました。日ごろから学力をしかっりと身につけるために、息子には高校は四年間必要だと思っていましたので、浪人をさせてくれという息子に、一年だけという約束で一人上京させました。
初めて味わう予備校の寮生活でした。全国から集まって来たいろいろな年齢の人たちの中で

 

 

 

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